こんにちわ。みみです。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
私は49歳でフルタイム看護師を脱却し
スキル0⇒Webマーケティングを身に付け在宅で月収30万を稼ぐ!
ことを目標に現在Webマーケティングを学んでいます。
このブログでは、49歳の私がスキル0⇒Webマーケティングを身に付け目標金額まで達成する過程をつづっています。
私がなぜWebマーケティングを学ぶことになったのか
そこに至るまでの右葉曲折の経緯は、ぜひ自己紹介文をご覧いただきたいのですが
その中の「40代」に収まりきらなかった内容があります。
それは、私がこの年齢で人生の「挑戦」をすることになった
大きなきっかけをくれたストーリです。
今日はそのことについて綴りたいと思います。
感情が死んでいた3年間
35歳
オーストラリア留学中に、常に心にぽっかり穴が空いている正体が「パートナーの存在」
であったことに気づいた私。
帰国後、とにかく出会いを求め
37歳
今の夫と出会い、強引に話を進めて出会いから半年もたたないうちに結婚しました。
30代の人生を振り返った時、ある程度人生を達観した感覚でいました。
人生において大事なものは「家族」以外にない。
私は、この家族を守るために常にこども達の傍に寄り添い、夫を思いやり
いつまでも愛し合って幸せな人生を送る。
それで十分。
なかなか理解の悪い私は、今まで大金をかけて、体を張って、そうでもしないと
家族の大切さを学べなかった。それを30年かけて人生勉強してきたんだ。
そう思っていました。
とにかく「しんどい」
入籍後、結婚式を挙げる前に福岡への転勤が決まり、私は嫌で嫌でしょうがなかった
当時の勤務先を円満な形で去れることに大喜びしました。
しかしながら見ず知らずの土地での生活は、新鮮さを感じるのは最初だけ。
後に名古屋、和歌山と2年に満たないペースで転勤生活となりました。
頼る両親も友人もおらず常に孤独な毎日。
私の世界は狭まる一方でした。
もともと完璧主義な上に看護師としての医学的知識が、いらぬ想像を掻き立て
1人で不安になり私の育児をより窮屈にさせていました。
また、どこの地方にいっても朝早く、深夜に帰宅する夫。
育児のサポートを受けれない疲労感や、不安な気持ち、孤独感と
常に時間に追われている生活に限界を感じだし
私が描いていた
結婚+家族が増える=幸せ
の公式は、全く持って現実化しませんでした。
「しんどすぎる」この言葉に尽きる毎日でした。
仕事復帰で心が死ぬ
長女が1歳、長男が4歳を迎えた時
・家計を維持すること
・24時間子ども達といることに息が詰まる
を理由に、看護師として復職することにしました。
久しぶりの病院での勤務に、どこかワクワクする気持ちも感じていました。
独身時代は120%で仕事を行ない、自分が満足行くまで追求、勉強。
そしてそれが「やりがい・達成感」となっていました。
しかし母親となった今、そんな仕事の仕方が通用するわけありません。
・いかに時間内に仕事を終わらせ、周りのスタッフへ迷惑をかけないか
・お迎えの約束時間に間に合うか
・医師から受けた指示にミスはなかったか
頭の中は常にグルグル回り、気持ちの整理がつかないまま子どものお迎えに行く。
夕方になれば、まだ小さい長女は機嫌を損ね泣きじゃぐる。
耳に突き刺さる鳴き声。
疲れている体に「抱っこ、抱っこ」
拷問でしかない。。。
家の中は次第に荒れ始め、その光景を目の当たりにすると更に苛立ちと疲労が増す。
朝から晩まで一人で家事、育児をこなしながら仕事もする。
いったいどこまで頑張ればいいのか。。。
まだ始まったばかり。。。
まだまだこの先続いていく。。。
途方もない先を考えると、辛過ぎて涙が出ました。
望んで授かれた命。
大事にしたいのに、しんどすぎて心から笑えない。
出かけた先でも、この後どんな段取りで家事をこなして晩御飯は何にしようかと
考えるだけで楽しい気持ちが失せる。
・それなりに好きだったオシャレは完全封印
・好きだった洋楽は子どもに合うわけがなく封印
・ぼんやり1人でカフェで過ごすなんて不可能
・趣味や好きだった事なんてあったことも忘れている毎日
自分の未来が全く見えなく、過酷な中働き続けなければ
子ども達を生かすことも、自分も生活していけない。
逃げ場がない現状に心はすさんでいきました。
今、その時の光景を思い出しても黒い影がかかった情景と自分の感情が蘇ります。
この時、私の感情は完全に 死んでいました。
夫を操縦するため片付けスクールへ入会
私の視点:モノが捨てれない夫
私の気持ちが沈む原因の1つに
「モノが捨てれない夫」
がありました。
・十数年前のレシート、名刺、資料
・高校時代のテキスト、大量の楽譜(元吹奏楽部)
・何十年も履いていないジーンズ
・数十年前に購入した新品の靴 数足
・未開封の下着類
・時代が過ぎ去って使用できないネクタイ100本近く
・ポイントを集めてもらえる景品・粗品・無料配布されるもの
などなど。
とにかく「なんでも置いておく」
数回の転勤で引越しを経験しているのに一向に荷物が減らない。
・何度となく不要なモノの処分をお願いしたり
・今後増えてくる子ども達の荷物をおくスペースを確保したいので
占領しているスペースを空けて欲しい
何度いっても荷物が減らない夫。
口うるさく言う私に遂に夫もいら立ち、「ほっといて!触るな!」と怒りをあらわに。
夫がモノを処分しない限り私が理想とする収納が行えない。
私からみて、価値を感じれない夫の荷物。
これを毎日目にするだけで気持ちが圧迫され、部屋に漂う負のオーラにやられる。
「なんとかしたい」
けれど、もはや私の力ではどうにもならない。
夫の視点:なんでも捨てる妻
多額の借金をした30代。私は最初に住んでいたアパートを夜逃げするような形で去るため多くの家財道具を処分。必要最低限の荷物にするしかありませんでした。
借金返済後も、今までなら気軽に手に入れたものも、値段とその価値(耐久性や自分に対する満足度など)1つ1つを吟味してから家に迎え入れるように習慣が変わりました。
これにより、家に置くものが厳選され
「いくつかの中から選ぶ」という作業がなくなりました。
借金による経済的な困窮が、私のモノに対する考え方を変え
人生にとって必要なモノが実は多くないこと、
大抵のモノが自分の精神的な感情を補うために所持していることに気が付きました。
もともとは優柔不断な私。
飲食店に入ってもメニューを決めることに時間がかかり、いざ注文してもそれでよかったのか気持ちが揺れ動く。
たくさんの選択肢を提示されると、他の人はどれを選択したのかが気になる。
その上、他の人の回答が自分と違っていると余計に自分の回答に自信がなくなり気持ちが揺れ動く。
この精神的な揺れがとにかくしんどかった。
けれど今は、「それ」しかないので、
悩むこともなく、家の中にあるもの全てを把握できるようになり、
考え方もシンプルになり、生きやすくなったのです。
だから性格も変わった。
もらって、後から処分に困るものは最初からもらわない。
友人からの好意も、後で自分の気持ちを苦しめるものなら
「その場で拒む」
これが、私にとっての善意。
友人に対しても「断る」ことができるようになっていました。
毎日手にする広告や紙媒体の資料など、不要なものは「秒」で抹殺。
私はこの生活スタイルがとても楽で気に入り、どんどんミニマリスト化していきました。
そんなスタイルを傍で見ている夫は、私のことを
「なんでも捨てる妻」
と認識し始める。
無料配布のものは「家族分もらう」
レシート・DMは「とりあえず置いとく」
「なんでも置いとく」精神の夫と考えが合うはずがありません。
私は、家の中の負オーラはすべて捨てられない夫が原因だと決めつけました。
夫の「なんでも取って置く」「決断できない」性格がなかなか理解できない上、
時に過去の優柔不断な性格の自分に重なり嫌気がさす。
自分が克服してきた過程を懇切丁寧に説明でき、夫の気持ちに寄り添えれば
もっと円満に事が進むのかも知れない。
けれど、気持ちに余裕がないことや、直ぐ変化を求める自分がいて
変わらない夫にいら立ちが増す。
もう、片づけに関しては意見が対立しすぎお互いが頑固になり折衷案が見いだせなくなりました。
片付けスクール「美心家塾」との出会い
たまたま読んでいたブログに、ある書籍が紹介されていました。
「狭い部屋でも仕組みができていいれば9割片付く」
著者である上山広美さん(みくろまま)の片づけ本。
みくろママは56㎡の賃貸マンションに家族6人で生活しているのに
3LDK72㎡の我が家とは比べ者にならないくらいスッキリとした空間で生活されていました。
著書には、片づけの「仕組みづくり」についてとても具体的に書き記されていて
今まで数多く片づけの本を読んできた中で、一番感銘を受けました。
「この人の傍で学びたい」
みくろママが主催する片づけのオンラインスクール「美心家塾」の存在を知りました。
片づけは好きたっだし、きちんと学ぶ機会も欲しかった。
私が片づけの知識を身に付け、きちんと説明できれば自分の考えが伝わるのかも知れない。そして、片付けのプロである講師が
「こう片付けるべき」「それは不要」と指示してくれれば夫は従うはず。
そう考え、私はすぐに入会を決断。
この時、数年ぶりに自己投資をしました。
このスクールではオンラインで同く片づけに悩む仲間と繋がり、片づけの基本となる講義を学習していきます。自分の家を曝け出し合い、今どんな悩みを抱えているのか、どんな仕組みが必要なのか個別的にアドバイスをもらいながら5か月間かけて実践的に家を片づけていきます。
今まで友人と言えばほぼ看護師であった私にとって、全国から集まる多様な環境にいる
画面越しの仲間ができたことをとても嬉しく思いました。
テクニックではなく家族との向き合い方を教わる
片付けを始めて数カ月後、あれだけ意気込んでいた情熱は次第に落ちてくる。
ある程度モノは減らしたし、元々モノは多くない。
原因は「夫」だから。
私は夫が絡む片付場所に苦戦していました。
全部不要に思える夫の荷物。夫へ苦言を呈して欲しいと相談すると
返ってきた言葉は
「夫の声にしっかりと耳を傾けるように」
「夫が何を理想と思い、どうしたいのか」
そして
「私自身の想いも丁寧に説明するように」
という内容でした。
てっきりスッキリ片付けるためのテクニックを教われ、指示してもらえるものだと思っていたら全く違った。
「今更、夫にそんなこと聞けない。どうせ無理に決まっている。」
もう、この地点で私は終わった。私は片づけもゴールに到達できない。
「夫のせいで」そんな気持ちもありました。
いつも何か事を進めたい時に立ちはだかる「壁」
夫の存在が自分のしたいことを阻む
なかなか夫の気持ちを聞こうとする姿勢がとれず日にちだけが過ぎました。
言葉のかけ方で子どもが変わる
「美心家塾」での5カ月間の片付け期間が過ぎた後もコミュニティに残り、細々した片づけを仲間とともに継続していました。
そんな中、世の中はコロナの大流行。我が家も夫を除く家族3人がコロナ感染者となり
10日間の自宅監禁状態へ。
いつもは仕事で忙しく、ガミガミ声を荒げて子ども達を怒鳴っていた私。
コロナ感染による自宅監禁中は、こどもたちの容態が落ち着くと暇を持て余す。
気持ちにゆとりを感じながら、外へ出れない子ども達とどう過ごすべきか悩んでいると、
子ども達の方から提案がありました。それは
「お手伝いチャレンジ」
自分たちでできそうなお手伝いの項目をピックアップし今日やるお手伝いを公言。
できたらチャレンジシートをお気に入りのシールで埋めていく。
私は、せっかく自分たちでやろうとしてくれているお手伝いを、こどもたちが楽しく
そして達成感を感じれる様に見守り、できたことはオーバーに感謝することに徹しました。
すると、子ども達は毎日お手伝いが楽しみとなりたくさん私を助けてくれました。
いつも、おこづかいをエサにお手伝いをさせ、その完成度に不満があったり、言い出したからには最後まで責任をもってやりなさい!とプレッシャーを負わせたりしていました。
それが教育だと思っていました。
「美心家塾」で学ぶ「こどもの自主性を尊重する声掛け」の意味が初めてわかりました。
親の声掛け、言葉の選択、声掛けのタイミング
全ては親次第。こどもが「悪い」「できない」のではない。
以後、自分主体で物事を考えるのではなく、常に子どもの視点で 子どもの意志、意見を尊重し、自分と同等な意識をもって子どもに接する。
子どもに掛ける言葉にはかなり意識をするようになりました。
あれ?
これって、夫との関係もそう?
最大の難関は夫との関係
子ども達との関係は良好となりました。
けれど、相変わらず夫には「耳を傾ける」ということができません。
家が片付かない原因は「夫」だと思い込んでいた私。
みくろママへの相談で、私の態度、考え方にあることを突きつけられ
「課題の全ては自分の中にある」
という考え方に嫌気がさしました。
「いつも悪いのは私」
「誰も私のことを褒めてくれない」
「私は状況を良くしようと必死で頑張ってるのに」
「夫はブラックな働き方をさせられている会社になぜ努め続けるの?」
この気持ちが大きくなり更に夫には素直になれないままでした。
片付けは未来を切り拓くための通過点
看護師という沼
家がスッキリ片付かないまま悶々とする日々。コロナの影響で業績が悪化した夫の勤務先がさらに遠くなり、土日は必ず仕事という状況に。私は週5日仕事をこなし、土日もワンオペとなり、体力・気力ともに限界を感じていました。
来年は娘が小学生となる。現在は、時短勤務で夜勤は免除されているけど、
来年からは免除期間が切れフルタイム+夜勤が条件となる。
今でもこんなにしんどいのに夜勤なんて始まったら
いったいどうなってしまうのか。。。
夫からのサポートは期待できない。
この条件がイヤだと言って簡単に辞めれる状況ではない。
生活していくには2馬力必要。
そして安定した収入を得ようと思うと、看護師とならぶ職業が思いつかないし
あっても、まったく違う分野なら経験値がなさ過ぎて求められない。
結局、条件をのんで看護師をやり続けないと生活できない。
これが「看護師沼」
ハマったら簡単に抜け出せない。
そして辿り着く先は必ず「夫」への不満。
しかし、ある日ふと気づきました。
夫にばかり変わってもらうことを要求していたけど、変わるべきは「自分」
「私自身が新しい働き方をすればいい」
片付けに本気を出す
翌年に娘の小学校進級、私のフルタイム・夜勤の開始。
考えるだけで恐怖でした。
とにかく土台を固めよう。そう思い中途半端にしていた片づけに正面から向き合うことにしました。まず立ちはだかる壁は片づけに費やす時間と夫を理解すること。そして子ども達にも協力を得ること。
私は片づけのスケジュールを組み、いつまでに、どこの場所をどう改善したくて、何が必要なのかをリストアップていきました。夫には、今抱えている自分自身の不安事や、部屋を片付けたい事、どんな仕上がりにしたいのかなど、落ち着いて1つ1つ説明していき納得してもらいました。そして、今回に限っては家具の移動やモノの配置が大きく変わること、1人では太刀打ちできないため(夫は多忙にて協力得られず)、みくろママの訪問型の片づけサポートを依頼しました。
家は一気に様変わりし、子どもたちもその変貌に驚いていました。
みくろママの訪問サポートを受けたあとも片づけは続き、自分や家族が描く理想の生活空間を完成させるために必死になりました。
この過程は、自分の片づけの記録と仲間たちへの情報公開のために30枚を超えるレポートにまとめました。
今回私は「本気」になるということがどういうものかを知りました。
今までとは全く違った時間の流れ、タスク管理の仕方、課題に対する向き合い方。
現役の「美心家塾」の生徒であった時は、いかに自分自身で限界値を決めてしまい、行動しないで「できない」理由ばかりを並べていたことに気づきました。
そしてできない理由をすべて「夫」のせいにしていた。
やっぱり「全ては自分次第」なんだと身をもって経験しました。
そして片づけきった時、今までは考えられなかった「未来」を考えるようになりました。
「片付けは理想の未来を叶えるための通過点」
美心家塾で最初にみくろママから伝えられるこの言葉。
本気の片づけの時にようやくその意味を理解しました。
到達したい理想の未来が明確であればあるほど、強い気持ちを持って取り掛かれる。
だから、理想を描くことや目標設定が重要であること。
散らかる部屋、スッキリしない場所。
全ては自分が抱えている問題が目に見える形となって表れている状態。
片付けは正に自分の脳内が実写化した世界。
必要なものとそうでないものを区別し優先順位をつけていくことは
脳内の思考整理になり
片付けに取り掛かるための手順や期間設定は
スケジュールやタスク管理に役立つ。
自分一人よがりの片づけでなく、家族の意向を確認しながらの作業は、
ビジネスにおいて顧客心理の理解に匹敵する。
私はこの片づけを通してビジネスの基礎を学んだと思っています。
動き出した未来
真っ黒で死んでしまっていた感情が動き出したのは「片づけ」がきっかけでした。
もともと向上心や好奇心も強かったけれど、家庭を持ってからはそんな気持ちになる余裕なんてなく、ポジティブ思考な自分自身の性格も変わってしまったのだと思うこともありました。
ここでも私を突き動かしたものは「どん底にあった精神状態」でした。
人は本当に窮地に追いやられたときに大きく分けて
困難を感じながら這い上がる活路を見出せるか、そのまま押しつぶされるか
の2択だと思っています。
そして、ここで大事なことが
その時自分がどんな環境に置かれているか
どんな人たちに囲まれているか。
私にはこの時「美心家塾」というコミュニティがあり、みくろママという大きな存在がありました。どんな状況でも見守ってもらえ、自分が進みたい道に手を差し伸べてもらうことができました。
新しい働き方を模索し、リモラボに入会した。そこで可能性を感じ、そしてさらに学びを深めていきたいと思い、このWebマーケティングのコースをとりました。
すでにスタート地点で49歳。
けれど、他の人に負けない人生経験を活かしWeb上でお仕事を獲得していく姿を見て欲しいと思います。