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はじめまして!

みみです。

本日はWebサイトにお越しいただき、ありがとうございます。

私は、看護師というお仕事が好きで長年務めてきました。

もちろん楽しいことばかりではなく「キツイ」「理不尽」「給与低い

なんて日常的に感じながら、それでもプライドを持って務めていました。

けれど、ママナースとなり

  • 仕事と家庭の両立
  • 48歳というアラフィフの体力的限界
  • まだ10年以上続く看護師ワークへの不安
  • 自分の描く理想の人生

あらゆることに悩み、働き方を変える決断をしました。

 

目標は、2年後までに月収30万円を在宅ワークで稼ぐことです。

 

月収30万円は、看護師が夜勤4回をこなしてもらえる一般的な給与。

私にとっては夜勤がなく、しかも在宅で仕事をしながら看護師と同等の給与を

稼げるのは、大きな魅力です。

とはいえ、当時の私はPC操作が大の苦手。数字も嫌い。

看護師畑でずっと過ごしてきた私が

  • 48歳という年齢で
  • ゼロからのスタート
  • 自分自身が看板になる
  • 自らの力で稼ぐ

これらをクリアしていくためには、相当な努力が必要なはず。

不安は大きかったけれど、今動かないと後悔する!

その一心で取り組みました。

 

今回の記事では、

私がどういう人間で、どんな経緯を経て在宅ワークを選択したのかをお話ししていきます。

基本情報

  名前;みみ

  職業:看護師(歴25年 ブランク6年あり)

  年齢:48歳

  家族構成:夫、息子(小学3年生)娘(小学校1年生)

生い立ち


第2次ベビーブームが終わる頃に大阪で生まれる。
父は地元の鉄工所に務める会社員、母は看護師、3つ上に兄という家族構成。

大阪の端っこに位置する新興住宅地で、同年代の友達いっぱいな中
海あり、山ありの自然の多い環境でスクスク育ちました。

小学生〜中学生時代

私ってこんな感じでした。

・人見知りが激しい
・優柔不断
・感情がすぐ高ぶり泣く
・超面倒臭がり

いつも他人の目を気にして「素」の自分を見せられない。人見知りは特に男子に強く、好意を持ってくれる同級生にも冷たい反応でした。

 

何か決めないといけない時は、悩みに悩んで決まらない。
決めて「やっぱりあっ ちがよかった」と、いつもレストランのメニューで後悔。

 

何か指摘されると、伝えたいことがあるのに高ぶる感情が抑えられなく
すぐ泣いてしまう。すると「またすぐ泣く」「泣いて済まそうとするな」などの
言葉を浴びせられ、また悲しくなって涙する。 のループ。

 

常に自分の発言を押し殺し、ストレスフルでした。

看護師になる目標ができる

そろそろ将来の夢を考え出す頃、通っている中学校に衛生看護科を併設する府立高校の体験入学のお知らせがきました。

母が看護師であり、近所の人達から頼られている姿や、医療に関する情報を
よく目や耳にしていたこと、読書好きでずっと知識を蓄えている母を見て
どことなく、看護師である母の姿をカッコいいと感じていたと思います。

 

私は友人と体験入学に参加し、目の前に現われた今まで見たことのない世界に
心を鷲掴みされた気持ちでいっぱいでした。の高校生だけど白衣を着て
ナースキャップを被っている!(当時はナースキャップが当たり前の時代) 

 

憧れの看護師さんだ!

 

看護という特別な教科を勉強し、普通の高校生活では得られない特別なスキルも学べる。
この「特別感」が私にはたまらない魅力になり、この高校を経て看護師になることを
決めました。 

高校時代

毎日楽しくてしょうがない

念願の高校生活は、「楽しい」以外の言葉が見当たりません。通学に2時間近くかかりましたが、苦痛には感じませんでした。

だって、

  • 苦手だった男子がいない!
  • 大好きな看護が学べる!
  • 他とは違う特別感!
  • 同じ目標をもつ人間の集まり!

これらの要素が全てをプラスな気持ちに変え、私が今まで自分自身で悩んでた優柔不断で陰気だった性格を少しずつ変えていきました。

そして

・制服から白衣への着替えは5分
・ピアス、ネックレスだめ
・マニキュアだめ
髪は黒く
ゴムは黒
長い髪はお団子してネットに入れる

厳しいルールも、「特別感」を感じ、この不自由さをどこか快感とするM気質の自分が
いました(笑)

毎日楽しくてしょうがなかった看護を学びながら過ごす高校生活も、後半からは自分の身に降りかかる課題にとても心を痛めました。

そしてこの経験が、

今の私の根源となる人生の価値観を作りました。

 

両親との死別

 

中学校2年生の時、母の乳がんが発覚。

母はわかっていたようですが言い出せずにいて、病院へ受診した時には骨と脳への転移も見つかり極めて厳しい状態でした。

何とか手術を受け、抗がん剤治療も受けていましたが、副作用に苦しむ母の姿は今でも鮮明に覚えています。一時期職場復帰もしましたが、すぐに体調が悪化。
自宅療養生活となりました。

 

そんな時に父が不慮の事故で他界

母の体調はさらに悪化し、そのⅠ年後に母も他界しました。

私が、高校3年生の時でした。私は、高校生の時に両親の他界に直面し、

・当たり前の日常なんて存在しないこと
・どんなに悩んでも悲しんでも状況はよくならないこと
・家族間でお互いが心を開ききれていなかったこと

を知りました。
看護学生でありながら、闘病中の母にどうして接していいかわからず
何もできなかった自分、今までの家族関係などに強く後悔を感じました。

 

どうしてあの時できなかったんだろう」
「ああしておけばよかった」
「私がわがままだったから…」

きっと母もたくさんの後悔を感じ逝ったはず。

それ以来

後悔だけは絶対にイヤ


やりたいことをやれる人生にしたい!
と思うようになりました。

 

念願の看護師へ

 

重荷から解放される

19歳の春、私は看護師となり大病院で働き出しました。
この頃の私は、母の闘病生活での苦悩、いつ来るかわからない別れに対する
恐怖や悲しみから解放されていました。

両親がいない悲しみや辛さはあっても
念願だった看護師の仕事ができる
毎日が楽しくて仕方ありませんでした。


病棟一怖いとされている先輩看護師に怒られようと、全く動じませんでした。
看護の仕事の「好き」が上回り、怒られることも全て吸収して身につけ
どんどんこっちから質問し、最終的にたくさんの知識を先輩看護師から学びました。

 

そして月日は流れ、周りの同期たちは新たなステップを踏むため退職していきました。
自分は同じところにずっと留まり、悶々とする日々。

 

新人看護師時代は、周りがチヤホヤしてくれみんなが構ってくれていたけれど、
看護師7年目となると病棟の中心的存在となり、お局化の博が出てくる。

 

大好きな看護の仕事だけど、自分の人生にもっと刺激的な何かが欲しい。
周りから注目されるような、そんな人生にしたい!

 

そう言えば、やりたいと思ってできていなかった
海外留学にチャレンジしてはどうだろうか?

そんな考えが頭の中を巡っていた時に、友人から声がかかりました。
そしてこれが後に私の人生で最大の大失態を招くことになります。

けれどこの経験は

またもや大きく自分の価値観を変える出来事になりました。
(でも、もう二度と経験したくない笑)

 

人生最大の失態

私は、友人からとあるネットワークビジネスに誘われ、そこに参加している人が
尊敬している先輩の1人であったため、「間違いない」と思い参加を決めました。

尊敬している先輩の海外留学を考えていたし、今の私の豆腐メンタルでは海外で通用するはずがない。「ネットワークビジネスって簡単じゃないはず。メンタル鍛えられるかも」と
安易な気持ちで始めました。

 

けれど、私がそこで見たものは

・法律違反紛いな行為
・強引な勧誘
・仲間の裏切り
・借金を抱える多くの人

初めて「ビジネス」と名のつく世界に足を踏み入れたけど「ビジネス」って
こんなに汚い世界なのかと衝撃を受けました。

世の中にあるビジネスはもっとクリーンなんじゃないの?

 

けれど、そう思いながら「辞める」と言い出せず、ただただその環境に存在し
気が付けば4年間という時間を費やし、膨大な借金も抱えることになりました。

 

ここからが、本当にしんどかった…

 

価値観の変化

借金を完済するまでに3年間という時間がかかり、32歳になっていました。

世間では、仕事も順調、生活も潤っていて、結婚や出産している友人たちがいる年頃。
ノリに乗ってる30代のはじめに

 

私は、こんな経験をしていました

・電車に乗るお金がなく何十キロも歩く
・乾麺と醤油しかなく湯がいて食べたら超マズかった
・病院食で余ったのパンをもらえることがありがたい
・同僚が食べないからあげるってくれるおやつに感激
・給与の8割が借金返済に回る

今までの自分のモノやお金、人との関わりを根本的に見直す痛い経験でした。

私はこの経験から、自分の信用もプライドも無くし

 

人生って自分の身一つあればどうにでもなる

そう悟りました。

起きてしまった事実は変えられない。
けれど、ここでのたれ死んだら失敗なままで終わる。

もう、何も怖いものはないので、本当にやりたかったことをやろう!

そう思い立ち、今度は計画的に貯金し2年間かけて留学資金を作り留学を実現させました。留学生活は、私にとって最高の時間となりました。

40代ママナースの現状

独身を貫いていた私は、留学で家族やパートナーの存在がどれだけ大事かを
目の当たりにしました。

長年、何だかいつも心にぽっかり穴が空いてる感覚があり、何をやっても満たされなかったその理由がようやくわかりました。

帰国後しばらくして婚活で今の夫をゲットし結婚。心の穴が初めて満たされた瞬間でした。

 

幸せすぎる毎日が、この先もずっと続くと思っていました。
2人の子どもにも恵まれ、一見微笑ましく、幸せに見える光景も

 

  • 常に食事のことに悩む(子どもたちの偏食)
  • 常に食事こどもと一緒(夫に懐かない・自分時間なし)
  • 常にフル回転(ワンオペ)


こんな状況が続く中で、経済的な不安もあり
娘が1歳を迎えると同時に看護師の仕事に復職しました。

この時、年齢43歳

更年期にどっぷりハマり、ホルモンバランスの乱れと疲労感が半端ない毎日。

独身時代に慌てて帰るママさんナースを「早く変えれていいなあ」と思っていた自分を抹殺したと思うくらい、世の働くママはすごすぎる。

一足先に帰った先に

地獄とも思える状況が広がっていたなんて想像もできなかった。

復職当初は気合いで乗り切っていたけど、月日が経つにつれ疲れがたまって
週末はノックアウト状態。けれど遊びたい盛りの子どもたちは容赦なく誘ってくる。

  • お砂場ではうたた寝
  • かけっこは動悸がして走れない
  • ボール遊びをしたら2日後から筋肉痛に襲われる


家事をしながら子どもの相手をし、仕事もこなす。
一体どこに自分の時間が生み出せるのか。
このワンオぺが超絶キツすぎて、だんだん自分が抜け殻みたいになっていく。

なんだか、ずーっと暗闇のトンネルにいる気分に陥いっていきました。

 

働き方を変える決断

月日は流れ、48歳になっていました。
どうすればこの暗闇から抜け出せるのか。ずーっと悩んでいました。
悩みに悩み、たどり着いた先が

  • 自分の働き方を変えること
  • 働く場所は自宅
  • 年をとっても続けていける仕事であること

数年間、たくさん悩み、涙もし、出口の見えない道を
フラフラ歩いているように感じていました。
自分と向き合うことをずっと避けて、ずっと夫を非難していたけれど

現状から逃げているのは自分で、怯えて行動できていなかったことに気づきました。

 

人生は一度きり 

後悔しない人生のために 今までの自分から変わる

そう決めました。

そして、新しい働き方を見つけ出したことに期待と不安に胸が膨らみました。

とはいえ

私は看護師しか経験のない全くの素人。
在宅ワークは苦手なPCを使い
独学で進めていけるようなそんな甘い世界でないだろうし

果たして自分を看板とするようなビジネスができるのか。

私のような性格の人間は独学では絶対にダメ。

尚且つ、取り組むなら

短期間で結果が得られるようにしたい。

  • コツコツとした継続が一番苦手な私
  • すぐに白黒ハッキリさせたくなる性格
  • 短期集中型で今までも物事を進めてきた


こんな私は、独学でコツコツ勉強、実践なんてできるわけがない。

ただ、在宅ワークのスキル・ビジネスの展開の仕方を学べる環境って怪しくないのか?
過去のブラックなビジネス手法が脳裏にこびりついていたけれど

出会ったスクールで学ぶ内容は、ビジネスってとってもクリーンな世界だった!

 

ここには

自分と同じように働き方に悩み

  • 自分の人生をどう歩んでいいかわからなくなった人
  • いろんな背景があって、経済的自立を求める人
  • いろスキルを身につけたいと思っている人

が、たくさん集まり理想を手に入れてました。

手私はコレから始まる、道の挑戦にワクワクしました!

さいごに

冒頭にお話ししたように、目標は在宅ワークで月収30万円を稼ぐことです。

困難なことも もちろんあると思いますが、私と同じように働き方に悩み
在宅ワークを始めてみたいものの、どうしたらいいかわからずもがいている人に
自身と勇気を届けたいと思っています。

 

今後、皆さんが在宅ワークのビジネスを始めたいと思った時に
道しるべになるようなブログを目指したいと思っています。

 

よかったら今後も、在宅ワークで30万円を稼ぐまでの道のり、成長過程を
見に来てもらえたら嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

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